意識ない夢の中で、俺は何かに出会う。痛みはない。



 夢を見ていた。無意識に夢と解る夢だ。目覚め、それは計らずも反省の時である。ただただ謝る。それは不変か、それとも真理か、それとも欺瞞か。どうでも良い事なのかもしれない。
 接触不良のスピーカーから音が途切れるみたいに、ただただ断片的、且つ断続的に夢の中に流れ込む愛情、同情、友情。くだらな過ぎて、俯き浮かぶ嘲笑。
 ああ、一日が始まる。そこに。






 日がまだ昇りきらない日曜の深夜、任務を終えた黒は銀を背負ったままふらふらと帰宅し、腹部の激痛に倒れそうになる足腰を無理矢理奮い立たせて、玄関先から室内へと歩み入いった。部屋には何もない。生活感の欠片もない自室に取り残された座布団に、背負っていた銀をそっと降ろして、黒は彼女の右足の銃創を見る。彼女の呼吸は微かに乱れ、滴る鮮血が畳を赤く染めた。
 銃弾は貫通していた。任務先で圧迫止血は行ったが、粗治療には違いなく、痛みは相当のものだろう。止血のために巻いていた布をそっと解き、人肌に冷ました湯に浸したタオルを刺激しないように宛がい、清潔なガーゼできちんと止血してやる。
「……銀、大丈夫か。」
「…黒は。」
 幾分落ち着いたようで、銀はゆっくりと黒を見上げる。少し汗ばんだ銀色の前髪を、右手でそっと掬ってやった。
「平気だ。」
 脇腹の刺し傷からは、大分収まったとは言え、未だに血液が溢れている。無理やり押さえつける事で何とか自身も出血を食い止めていた黒は、どっと疲れて壁に倒れ掛かった。放っておけばその内に治るだろうと、今までまともに治療した事もなく、全身の疲労から朦朧とする意識のままに瞳を閉じる。
「……ごめんなさい。」
「銀のせいじゃない。」
 元はと言えば、庇え切れなかった自分に責任はある。諜報活動や索敵担当で戦力外の銀に外傷を負わせてしまった事に、黒は少なからず自らの失態を責めていた。しかし謝る事も出来ない。
 立ち上がって、箪笥を開き、使った包帯等を薬箱に仕舞う。物に乏しい部屋の中で唯一充実していながらも、痛止めは敢えて置いていない。必要性を感じなかったのだ。こんな事なら用意だけはしておけば良かったと思うけれども。
 箱を戸棚に仕舞いながら、黒は言った。
「朝になったら痛止めも用意するから、今夜だけ我慢してくれ。」
 そうして、黒も銀の隣に座る。今更銀を煙草屋にまで送り返す事も出来ず、仕方なく今夜の事を考えた。
「…。」
 右足が重い。焼けるように熱い。
 痛む幹部に銀はそっと触れてみる。丁寧に巻かれた包帯の下で、じわりと血が滲むのが解った。
 初めての痛みは溶けるように熱い。日頃怪我をしない立場の銀には解らないが、この熱は、黒が普段の任務で感じているそれと同じ熱なのだろうかと疑問に思う。
 銀は、動くままに布越しに黒の傷に触れた。深い意味があった訳ではない。ただ、思う前には手が動いていた。手探りで探り当て、黒の傷痕に触れる。
「……っ、止めろ。」
 黒の制止の声に、銀は一拍置いてから引き下がった。掌はどちらのものかも解らない熱を帯び、平生と違う熱さを銀は声にして訴える。
「熱い、」
「…そうだな。」
 小さく肯定して、黒は立ち上がり箪笥から一組しかない布団を敷く。そして、左手を膝に回し、銀を抱え上げて静かに布団に降ろした。
「寝にくいかもしれないが、少し休んだ方が良い。」
「黒は。」
「俺は此処で十分だ。」
 黒は銀の髪を結んでいたリボンを解いてやり、薄い夏布団を銀に渡した。黒は引き下がり、壁に凭れて重い瞼を閉じた。

 銀は横になったままその姿を見つめる。実際は見えない。
 肩にかけられた掛け布団を持って、銀は右足を引きずりながら近寄る。そして、黒の肩に渡されたそれをかけてやる。この行動がどうなるからんて知らない。ただ、そうするべきだと思っただけだ。いや、本当に思ったのかどうかも解らない。しかし身体が動く。
 ふと、戻ろうとしたところで、床に無造作に放置された布に手が触れる。黒のコートだ。防弾仕様のそれに、コートとしての目的はあまりないのかもしれない。暫く握った後、布団の上に戻って、それを上から被ってみる。
 黒の身体を覆い隠すだけあって、銀にはそれは大きかった。微かに彼の匂いを感じて、銀はそのまま瞳を閉じる。
 足が痛んだ。


 小鳥の囀りが虚しく響く。ニ人は畳の上で寝ていた。ただ、畳の上で寝ていただけだ。気が付けば、朝。昨夜の記憶があまりにも不鮮明で、黒は確認するようにその名を呼ぶ。
「……銀?」
 夢を見ていた。無意識に夢と解る夢だ。断片的、且つ断続的に夢の中に流れ込んでいた愛情、同情、感情。くだらな過ぎて、俯き浮かぶ嘲笑。それでも、何処かで感じる安心がある。
 そこで、自身の肩からずり落ちたそれに気がついた。黒が銀に渡したはずのそれが、何故ここにあるのだろうか。理由は一つしかない。
「………。」
 銀は自分のコートに包まれて眠っている。これらはつまり、彼女が自らした行動という事だ。
 猫なら、黄なら、これをどう評価するだろうか。彼等のように割り切れない自分は、未だに彼女の存在を如何扱ったら良いのか判断に苦しんでいる。しかし、眠り中で確かに感じた何かがあった。薄らと起き上がって、銀は黒を呼んだ。
「…黒、」
 痛む腹部を押さえて、黒は言う。痛みはあるが。
「………おはよう、銀。」
 ああ、一日が始まる。そこに痛みはない。





070804
本当に書きにくい方々です。