拙くて脆い二人の関係


日記でプチ連載中。
生徒×教師。


【4】
 簡潔に言おう。
 鍵を盗られた。

 犯罪が起こった時、テレビでは犯罪者の身内が決まってこう言う場合が多い、「まさかあの子がそんな事をするなんて」。いや、する。どんなに大人しくとも、どんなに真面目でも、人間なんて裏を返せばそれなりの顔を持っているものだと、世間の奥様に言ってやりたい事この上ない。
 「まさかあの子が」を地で行く枢木スザクは、俺に口止めと称して強姦(あくまで未遂だが)をしかけ、あまつさえどさくさに紛れて屋上の鍵を持って行った。事実だ。一言も嘘偽りない。
 ああ、誰一人として信じないだろうな。
 あれは夢、若しくは幻だと俺だって信じたい所だが、生憎この眼で見た事を虚像だったと否定出来るような海馬を俺は持ち合わせていなかった。視覚から入る情報が全て真実だ、とまでは言えなくとも、あれは事実として過去に起こった事実であり、そしで現在進行形で悩みの種である。
 まぁ、鍵を取られた事は俺の失態なのだから、敢えてそこには言及しないが、しかしこれは窃盗罪だ。犯罪、そうだこれは犯罪だ。「貸出」ではない。



 スザクが鍵を持ち出し屋上から出て行った後、ルルーシュは取り残された。結果として、現在屋上は開放されている。
 翌日の夕刻、ルルーシュは屋上に続く階段を昇っていた。開放されている事を知っているのはスザクとルルーシュの二人しかいないが(スザクが喋っていなければの話だが恐らくそれはないだろう)、一応寮監督として学園から任されている身なのだから安全確認を怠ってはいけない。
 階段を登りながら、ルルーシュは昨夜の出来事を思い出し、ふわっと赤く染まった。
(童貞か俺は!)
 中途半端な形で放置され、その後の事は思い出すだけでも恥ずかしい。あれから影に隠れて処理をして、同時に眩しい朝日を迎えた。いやしかし未遂。そう未遂だ。未遂。未遂。未遂。未遂。未遂。ああ、未遂だから大丈夫。断じて言い訳ではない。断じて。
 暗示をかけ何とか理性を保ち、ルルーシュはドアノブを捻る。隙間から心地良い風が通り、黒い髪を靡かせた。
「…先生。」
 そこに、彼はいた。相変らずの定位置でフェンスに凭れながら振り返る。
「……なんで居るんだ、お前。」
「そんな露骨に嫌そうな顔しないでよ。せっかく手に入れた鍵なんだから活用しないとさ。勿体ないだろ。」
 大して反省した風でもなく、スザクは冷たい視線を投げて寄越す。偉そうな態度に内心怒りに震えるも、相手にする事にも疲れ、ルルーシュはため息を尽きながら歩み寄った。正直殴り倒してやりたいくらいだが。
「ああ、もう。返せ。職務怠慢で首にはなりたくないからな。」
「鍵くらいで何を大袈裟な。」
 死活問題だ、と言い返して、ルルーシュもスザクの隣に立ち校舎を見下ろした。
 広い敷地内の一角に添えられたこの寮は、校舎の全貌を見渡す事が出来る。下校する者(ここは全寮制ではない)や、部活動に勤しむ声が雑踏として流れ込んでくる。
「今日は星出そうにないなぁ。」
 スザクは空を見上げて言った。釣られてルル−シュも空を仰ぐ。薄暗い天候が、なんとなく暗鬱とした自分の心境を暗に示しているようで不快だった。
「明日は雨らしいからな。」
「それは困るな、洗濯したかったのに。」
「知らん。室内で乾せば良いだろ。」
 暗鬱、としているのは仕方ない事だと思う。
 まるで何事のなかったかのようなスザクの態度に、疲労以上に戸惑いを感じていた。たった一人の生徒に振り回されているようで、年上としてのプライドが少しだけ軋む。
 ルルーシュはスザクを見つめる。背格好も自分よりしっかりしているし、良くも悪くも他人に対して人当たりも良い。成績も上位、剣道の大会では優勝も飾り、ミレイと並んでアッシュフォード学園を先導する人間の一人だ。
 今でこそ思う。教師でありながら、出来の良い笑顔を振りまく彼を、俺は内心で見下していたと。そして、その笑顔に何ら疑問の抱かない周囲を嘲笑っていた。敏いスザクはそれに気が付いたのだろう。だからこそ、ルルーシュに対しては常に態度が他とは違ったのかもしれない。
 しかし、それについて自分からどうこうしたこともなかった。
 面倒だったのも理由だが、常に良い顔をしている彼の、内面にあるストレスの矛先になる事が、まるで気が付いた己の義務のようにも思えたのだ。
 だから、かもしれない。だから、俺は振り回されているのかもしれない。そして、振り回されている自分に嫌気が指しているのかもしれない。矛盾だが、多分そういう事なのだ。
「よくもまぁ白々しく。」
「…そういう先生こそ、怖くないの。」
「…何が。」
 スザクは真っ直ぐにルルーシュを見つめた。
「あんな事された後でさ。」
「お前こそ、少しは反省した様子くらい見せたらどうだ。」
「別に悪いと思ってないし。」
「………あのなぁ。」
 非難するように睨んでも、気にした素振りも見せず、そして。
「なまじ処女みたいな事言って喚かれても困るけどね。警察に行けるならご自由に訴えるなり何なりと。ああ、それとも、」
 そして、スザクは顔を歪めて哂う。
「彼氏に面目ない?」
 空は相変らず薄暗い。


【5】


「……何なんだお前。」
「何って、」
 何が彼氏だ。誰が彼氏だ。
 過去の経験は未だにルルーシュを蝕んでいると言うのに、何もしらないスザクはそれを恋愛経験と捉えたのだろうか。
「下世話な話題は止めろ。聞くに堪えない。」
 厳しく遮断したが、スザクは特に動じる訳でもなく、フェンスに凭れながらルルーシュを淡々と見つめていた。真面目になっている己が馬鹿らしくなって、ルルーシュは小さく溜息をつく。
「俺の名誉のために言っとくが、「彼氏」は過去現在未来全てにおいて居ないからな。」
「…そうなの?」
「そうだ。」
「なんでまた、そんな事に。」
 こうやって、スザクは己の境界線を踏み越えて来るのだ。何気なく会話の中に確信の部分に触れて、ルルーシュが明確な拒絶を以ってする話題へと話を転換させていく。
 だが、一瞬、スザクの会話に乗って、全てを話してしまっても良いような気がした。
 一人で全てを抱え込む理由もないし、また、スザクなら話せるように思う。身内の会話をしたがらないルルーシュにとって、他人に暗い過去を曝け出すのは苦痛にも等しい。そうやって相手の同情を引くような真似をしたくはなかった。
 スザクなら。スザクなら、ルルーシュの話を聞いたところで大した反応は見せないだろう。そう思った。
「お前に言う必要ないだろ。」
「それはそうだね。」
「…いつか言ってしまう気もするがな。」
 聞こえているだろうに、スザクはそれに対して返答をしなかった。別にどうでも良いが。
「テスト、よくあれだけの時間で熟せるな。」
 ルルーシュは話題を変えようとして、ふと今日の職員室での会話を思い出した。枢木スザク、またもや1位、の報は隣の席の教師が、採点しながらにこやかに教えてくれたものだ。その場ではルルーシュもまたにこやかに「またですか。流石ですね」なんて嘯いたが、内心では焦りを隠しきれなかった。そのテストの監督は自分だった。そして、彼が全く問題を解こうとしなかった事を知っているのも自分だけだ。
「え?ああ、定期試験のこと?」
「おめでとう、学年1位。」
「恐れ入ります。」
「数学だろ。そんな短時間で出来るのか。」
 周りが必死になってテスト用紙に向かう姿の中で、スザクはただ窓の外を眺めていた。それでも彼が1位となると、2位の誰かはまた可哀想な事である。1時間必死になって取り組もうとも、上の相手はたった40分足らずで全てを解いてしまうのだから。
「数学くらい、問題見たらどんな展開になるか何となく解るよ。」
「……教師泣かせだな、お前。」
 ふと、気になったので尋ねてみた。
「15分、何を考えてたんだ?」
「先生の事。」
 間髪居れず返答されて、ルルーシュは立ち止まる。
「貴方の事を、考えてました。」

「……馬鹿か、お前は。」
 そう一蹴する事によって、何とか会話を流す。いや、流しきれた自信はないけれど。スザクもまるで冗談だと言うように笑って誤魔化したので、それ以上会話が続く事はなかった。
 スザクは立ち上がって、出口まで歩いていく。
「鍵、閉めますけど。」
 それに習って、ルルーシュも歩み寄った。
 もう、どうでも良いような気がした。スザクの考えている事なんて自分に解るはずもないし、解らなくてはいけない理由もない。この屋上という場所だけが、二人の関係を保っているようにも思える。考えてみたら、ルルーシュとスザクの関係なんてそんなものでしかない。
「その鍵、貸してやるよ。」
 そう言って、ルルーシュドアを出た。スザクが不思議そうな顔をしてこっちを凝視していたように思うが、あえて無視して階段を下りる。
 不意に、上からスザクが話しかけた。
「今日先生のテスト受けました。経済理論の。」
「…………。」
「結果、期待しててください。」
 ルルーシュは無視して寮に戻り、廊下で一人ごちた。食堂でまたスザクと出会わなくてはならない。部屋に戻っても彼の答案の採点が待っている。何処へ行っても、枢木スザクの存在は付きまとうのだ。虚しくなって、溜息をつく。
「…本当、嫌味だ。」


070808
次回はスザ君の誕生日です