※武官スザク×文官ルルーシュ 続きです。
スザクは比較的割り切った考えの持ち主だった。希望の中に諦めを見出だし(行動に移さなくては、しかし一人では無理だ)、努力の先に挫折を知る(何かを始めなくては、どうせ何も出来ない)。それを繰り返して、結果、僕は詰まらない人間になってしまったのかもしれない。
だから、仕方ない、そう思っていたのに。
act...1
「ランペルージ官、お茶を……って。」
トレイにカップとポットを乗せたまま、スザクは行き場ないそれらを尻目に上司の背中を見つめた。普段、滅多に隙と言うべき弱みや感情を見せないルルーシュが頬杖を付いて瞳を深く閉じる姿は、紛れも無く彼の睡眠を意味し、トレイを傍らのテーブルに置いてスザクは起こさないよう恐る恐る歩み寄った。
(…寝てる。)
身動きせず死んだように伏せられた瞳に長い睫毛が掛かって、まるで深い拒絶のようだ。衝動的に伸ばしかけた右手を制して、スザクは思う。
この一ヶ月、深入りしないように(嗜好や趣味程度の事だ)彼と多く話した。
専ら運動専門で活字に触れる生活から遠ざかっていた自分が、何の因果か皇宮の書庫に配属された時は別に文句があるわけではなかったのだが、当然軍務(例えそれがマトモな仕事でなくとも)に携わるのだろうと思っていたため、ああやっぱり、が半分で、まさかそんな、が残り半分を占めた。差別的な理由で目先の目標から場違いな行先へと遠ざけられてはもう、憤慨以上に諦念に駆られるしかない。どうせなら最前線に裸足で放り出されて死ぬほうがマシだとも思った。それなのに、中途半端に残った人権尊重という文化思想はそれを認めず、配属先は書庫。
つまり、体の良い左遷だ。同期には大いに馬鹿にされ笑われたがそれも致し方ないと自分でも思う、何せ紛いなりにも訓練を受けた一端の軍人が書庫に配属など前例もない。ましてや活字など全く知らない自分に手伝える事があるとも思えなかったが、行けと命令されて断る訳にもいかず、こうしてスザクは皇宮の隅に佇む書庫に出勤する事になった。書類では、ルルーシュ・ランペルージ官僚ただ一人しかいなかったため規模も小さいものだと思っていたのだが、実際に足を運べば流石に皇宮だけあって「庫」ではなく、それはもはや馬鹿でかい「屋敷」と呼ぶに相応しい風体だ。膨大な資料に囲まれ、ルルーシュはたった一人で一体何を思って今まで生きていたのだろうか。自ら社会を否定して、あれほど人との関わりを拒絶していた自分が、今ではただ、素直に彼の事を知りたいと思う。
長い睫毛が瞳を隠す。その更に奥にある心情は知識によって彩られ、外見よりも激しい気性を隠しているようにも思えた。白い肌の下にある血管の青い筋に、スザクは何かの劣情を蘇らせた。
(―――……何を考えているんだ。)
うっすらと浮かび上がる情念を振り切るように、スザクは視線を反らし、備え付けの毛布を棚から出してその細い肩にかける。瞬間、ルルーシュの肩にかかる
「………ああ、すまないスザク。」
その感触に、ルルーシュは身じろぎして起き上がった。その胸元のネクタイは緩められ、シャツはだらし無くボタンを外されている。その隙間から覗く肌が透けて、暗闇に映えた。とりあえず、スザクはさりげなく視線を戻す。
「少し休憩に入られたら如何ですか。昨日からあまり睡眠もお取りになっていないんでしょう?」
「そう、だな。」
今日の紅茶はアプリコット。杏の甘い香りに酔いしれるように、リキュールを垂らしてかちゃりとティーセットは揺らいだ。此処に出勤するようになって、スザクは週間として紅茶の入れ方を自主的に調べるようにしている。たまたまルルーシュの居住ルームに設備されていた茶葉を見つけたのが始まりで、「飲めれば別にインスタントでも構わない」と言い切ったルルーシュに、折角だから美味しい紅茶を、と自分から言い出した。二週間も経てば自然と紅茶の種類も覚え、皇宮に赴く時はメイドに余った茶菓子を貰うようもなった。(彼女達の目的がルルーシュであるという事実はあくまで伏せておくとしても)
ルルーシュは紅茶を入れる背中をぼんやりと見つめていたが、不意に机に向き合って山積みの書類を見つめた。
「…今日中には終わらせないといけないんだ。」
「無理は効率を下げるだけですから。…今日はシフォンケーキとショートケーキの二種類あるんですけど、ランペルージ官はどちらになさいますか。」
そう言って、スザクはすっと笑って傍らに歩み寄る。暫くルルーシュはスザクの手を見つめた。皺寄っていても幼少からの努力をそのまま表現したかのような力強いそれは、やはり自分の小綺麗なそれとは違う。しっかりとした指先に、女性に人気があるんだろうな、と漠然と思った。
小さくショートケーキ、と呟いて、またその手を見つめる。スザクは訝しがって、そんな上司の顔を覗き込み尋ねた。
「…どうかなさいました?」
「……その、」
「はい。」
渋るルルーシュを尻目に、スザクは落ち着き払ってゆっくりと先を即す。一旦、用意していたケーキをサイドに置いて左隣に並び、何となく、高級そうな黒塗りの机の一点を見つめた。何だかんだ言って、此処の備品は随分良い趣味をしていると思う。クラシックな雰囲気に彼は妙に馴染む。
しばらくペンを止めていたルルーシュは、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。紫の瞳は右下に伏せられていて、スザクからはあまりその表情を伺う事が出来なかったけれど。
「その、ランペルージ官って呼ぶの、止めないか。」
伏せられたアメジストの瞳に、スザクはポットを握っていた右手を思わず止まらせる。
「嫌いなんだ、それ。」
硬直した脳では、それ、の指す内容が解らなくてスザクは暫く困惑した。
呼べるものなら、と思わなくもない。以前、人事部のリヴァルが親しげに呼び捨てるのを背後で聞いて、スザクが項垂れた事は未だ記憶に新しい。ただ、呼ぶ権利もないし、呼ぶ必要性もないだけで。最後の理性を総動員して、何とかスザクは否定した。
「でも、たしかランペルージ家って貴族の姓ですし…」
「所詮、発言権もない下層貴族の名前だ。ルルーシュで良い。」
「しかし、」
ルルーシュは何も言わず、じっとスザクを見つめた。この無表情は苦手だ。しばらく無視してケーキを切り分けていたのだが、数秒後、居た堪れなくなってスザクは降参したように息をつく。
最期問うように紫の瞳を見つめ返した。ルルーシュは憮然と座っている。
「ル、ルルー、……シュ。」
「そう。」
ルルーシュ。とりあえず、胸の中で反復。気恥ずかしさに、スザクは顔を顰めた。
「……何で嫌いなんですか。」
「…名前というか、なんだろうな。」
皇家の隅でただ生きながらえるだけで、貴族と言えども権威はなく、そこいらの労働階級よりも発言権はない。ランペルージ、という名は聞いたことがなかった。爵位は持たず、冠位は下から二番目と社会的地位も低い。ただ、それだけの存在。そう、ルルーシュは自分の事を形容する。ただ、それだけの。それに否定することも出来ず、いつもスザクは突っ立って本を運ぶだけなのだけれど。
「……俺を、無意味な存在だと思うか。」
「無意味?」
聞き返したが、ルルーシュは何も答えなかった。多分、ここから先は不可侵の領域なのかもしれない。
スザクは思う。意味とか意義とは理由とか、そんなものを求める事がそんなに愚かしいだろうか。少なくとも、この上司とこの書庫だけはスザクにとって必要なものだ。逃げているだけなのかもしれない、それでも一時の誘惑に駆られて、スザクはその言葉を反復する。
「…別に、無意味じゃないと思いますよ。」
断言すれば、ルルーシュは躊躇うように床を見つめていた。
「…そう思うか。」
「そうだよ。」
「多分、意味のないものなんてないよ、ルルーシュ。」
いや、無意味で成立するのは恐らく社会の理念であり真理だ。世の中は無意味と理不尽の集合。この書物達も、国家も、軍も、人も、社会も理想も資本も価値も全てスザクにとっては無意味で無意義な存在だ。ただ、ルルーシュは違う。彼が書物の中に居るだけで、それらはスザクに大きな意味を齎す。
ルルーシュは違うのだ。だって君は僕に意味を与えてくれたから。
「今日の紅茶はアプリコットです。どうですか、一杯。」
何かを始めなくては、しかし一人では無理だ。
行動に移さなくては、どうせ何も出来ない。
それを繰り返して、結果、僕は詰まらない人間になってしまったのかもしれない。だから、仕方ない、そう思っていたのに。
君だけは違う。ただそれだけの事で、存在する意味を僕は与えられた!
「…ああ、頂こう。」
070627
てゆうか働けYO!