初めて握られた手に、僕は初めての忠誠を感じる


※武官スザク×文官ルルーシュ



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 皇宮の薔薇がちりばめられた庭を避けるようにして壁伝いに裏に回り、そこに隠れている使われなくなった侍女達の水場からさらに奥に進めば、地味で薄暗い館が現れる。
「失礼します。」
 皇家特有の馬鹿でかい扉を開き、視界の暗さに思わず眼を細める。そして、その世界は書物という古典的記録方式で記された膨大な情報によって、スザクを圧倒した。視界一面に広がる本棚と、見上げれば何段にも連なる本の山、階段があり、二階も設置されている。外から見た此処は三階建てだったが、二階や三階の全容はここからは見えなくとも、この分だと恐らくあそこも本棚で埋め尽くされているのだろう。本棚の間には人一人が通るだけのスペースしか用意されていなかった。図書館とは違い、その名の通りただ本や書類を保管するためだけに作られた、ある種寂れた趣のある此処は、薄暗く離れにあるのも手伝ってか、外の様子が全く解らない。
(――…テロリストがまず潜むとしたら此処だろうなぁ。)
 なんて思ってしまうあたり、自分と書物の接点のなさを暗に示し、軍人でしかないスザクには少しばかり宝の持ち腐れだ。これが本好きの人間なら、恐らく泣いて喜ぶだろうに。
 とりあえず、人を探すため中に踏み入る。これだけ寂れているのに埃が舞わず、少しだけ管理人の几帳面さを思う。まぁ、誰でも職場くらいは綺麗に整頓するだろうが。しかし地図もなく本棚しかないため、一体何処に行けば良いか解らず扉の前で困惑した。途端、
「何か。」
と声をかけられ、スザクは慌てて振り返る。白いシャツの襟元を着崩し、黒よりも藍がかった髪が窓から差し込む光に反射して揺らめいた。そして、透明な紫の瞳の中に己を見つける。敬礼をして、スザクは向き合う。文官だけあって身体は細く、光の当たらない薄暗い書庫の中で白い腕が輪郭を象っている。その血色のなさに驚いて、スザクは内心で目を見張った。
「本日付けで書庫整備に配属された枢木スザク一等兵です。」
「ああ君が。…それは良いんだが」
「はい?」
「……たった一人か?」
 そう言って歩み寄りながら、青年は訝しげにスザクに尋ねた。近くで見れば端正な顔立ちが強調され、思っていたよりもスザクより身長が低く、自然見下す形になってしまう。
「と、僕は聞いておりますが。」
「そうか。…クロヴィスめ経費をケチったな。」
 一見して生真面目そうな風体だが、仮にも国家の皇子を呼び捨てにした事によって、スザクは恐らく上司だろう青年への認識を改めた。元々絶対王制ではない国出身故か、スザクはブリタニア人よりも遥かに忠誠心に疑心的である。幼い頃日本にいた時だって、結局お飾りでしかないその役職を一番近いところで見てきたからこそ、その本質の無意味さを痛感し過ぎていたのかもしれない。それは軍属となって以降も変わらなかった。その考え方をブリタニア人に言おうものなら確実に首が飛ぶが、ルルーシュは非王族派のスザクに近い人間のような気がしてスザクは不躾にも親近感を覚える。
 いくらスザクでも、純血派の職場だったらどうしよう、くらいの懸念はしていたから、僅かな安堵感に緊張の糸を解いた。
「まぁ良い、一人でも何とかなるか。来てくれて感謝するよスザク。ルルーシュ・ランペルージだ。」
 そういってルルーシュはふっと微笑んで、スザクとは違う綺麗な作りの左手を差し出す。ただ、それでも名誉ブリタニア人軍属の洗礼を受けた名残は消えなくて、差し出された白い手を握り返す勇気がスザクにはない。伸びそうになった自らの腕を叱咤してやんわりと遠慮した。
「あの、僕はエリア出身なので、」
 結局、血統主義のブリタニアにとって、名誉ブリタニア人は外人、と言うよりも奴隷的意味合いが強く、同等の扱いは受けられないのが現状だ。行き場のなくなったルルーシュの右手は触れる事なく宙をさ迷った。申し訳なく微笑めば、ルルーシュはむっとしたようにスザクの腕を掴んで引き寄せた。
「……ほら。」
「っ…」
「俺はそんなの気にしないから。」
 握手なんて何年ぶりだろうか。温もりから伝わる熱が、スザクの中に流れ込んでいく。ただ、それだけの事に平生を装えずスザクは己の左手を凝視する。ルルーシュはそんな反応を知ってか知らずか、スザクのひび割れた手に触れて握り締めた。その体温はスザクよりも幾分冷たい。
「すまなかった。武官に書庫なんて不本意だろう?」
「い、いえ、」
「半年になるか一年になるかは解らないが、我慢してくれ。給料は優遇しよう。」
「それは良いんですけど…具体的に僕は何をしたら良いんでしょう。」
「今年一年をかけて書架整理と点検をするよう言われているんだ。基本的にはそれがメインだな。」
「これだけの数を、ですか。」
「ああ。これが見取り図。」
 そう言って、ルルーシュはふらりと奥へと消える。手渡された紙には本棚の配置と区分が表記されていた。増築されたと思われる別棟にはルルーシュ専用の執務室や仮眠室(ご丁寧にシャワールームまで完備だ)も設置されているらしく、彼が此処に寝泊りしている事が何となく雰囲気で伝わって来た。スザクも後を追えば、そこには果てない暗闇にうごめく書物の山の羅列。図書館とは違い、読むためではなく保管するために作られた此処の本棚は、裕に3メートルは越すかと思われる高さを誇る。見上げれば天井が遠い。スザクは人知れず左手を握り締める。下仕官学校時代から真っ当な扱いを受けなかったスザクを受け入れてくれた、ただそれだけの事実だけで、責任以上の決意を人知れず胸に秘め。
「仕事内容は後で説明する。午後からは俺にも政務があるから、基本的に作業は午前のみだ。」
「じゃあ午後から僕はどうすれば?」
「軍に戻ってくれても良いが、特にする事がないのなら付き合ってくれると助かるな。とにかく人手が足りない。」
 初対面で、僕は堕ちた。その紫の瞳に。
「僕に出来る事があるのならお手伝いさせて頂きます。」
 そして、僕は己の左手を握りしめる。


070620